2017/08/31

2017年8月の雑記

  2017年8月の雑記。(→9月/7月

  08/16(Wed)
  アニメは視聴覚メディアの創作物であり、それゆえアニメ作品の解釈や批評は美術的アプローチであったり映像学の知見の上に展開したりすることができるし、また当然第一にそうすべきものだろう。カメラワーク、色彩設計、カット割り、音響演出といった次元で、そしてそれらの連動した総体として、個別作品の特質と技巧と達成を指摘するものだ。実際、海外(とりわけ映画学の普及した米国)のアニメ研究は、そうしたオーソドックスな議論を展開し蓄積している。
  しかし、日本国内のアニメ論はいまだきわめて貧弱であるように思われる。映像の細部に多少踏み込んだ議論でも、せいぜい場当たり的に図像学めいた手つきで(スタティックな静止画で済む範囲で)「こんなオブジェが描き込まれているのはこういう状況を象徴しているのだ」などといった指摘を並べるくらいで、映像演出それ自体についてはほとんど何も語られないし、ましてや体系立った議論には程遠い。ドメスティックな(とりわけオタクの中での)アニメ論には、絶望的なまでに悲観している。
  結局のところ、制作過程に目を向けない議論は、上滑りした見当違いのものになりやすいという、ありがちな話なのだと思う。制作の現場に立ち戻って、そこから何が起きているのか、何故こうなっているのかを跡付けるところから始めなければ――それが目的や結論になるわけではないが必要な前提になるのだ――、場当たり的にちょっと面白い指摘をするブログエントリが浮かんでは消えていくばかりで終わってしまうだろう。

  「学」のレベルで扱うということは、個々の議論を公平かつ客観的な形で展開させ(つまりバイアスをできるかぎり排除しつつ第三者にも理解できるような形にさせて)、それらの各論的分析をより大きな展望の中に位置付けて評価できるようにし、さらにそれらを相互に結びつけて新たな展望を得られるようにし、そうしてそれらを蓄積して繰り返し参照し再検討し改良して先へ進んでいけるようにするということだ。それが(まだ)何も無いのだ。
  もちろん、私が試みてきた一連のゲーム演出論も、学として成立させるための準備作業のためだった。実際にどこまで成功しているかは分からないが、そうした道筋をつけられるように、あるいはその見本となり得るようには心掛けていた。


  術語としての「軍属」とは、おおまかに言えば軍隊に所属してはいないが軍隊活動に参加している者のことを指すのだが、世間的には「軍人である地位(身分)」や「軍隊組織に正規所属しているという状態」を指す言葉として使われており、状況によってはほとんど正反対の意味になってしまいかねない。「軍人」というとまさに個人のことを指すように感じられがちだし、「軍人の身分にあるという状態」を婉曲に指示する簡潔な単語は既存の一般的な日本語の語彙には存在しないので、たまに目にするそれらしい言葉がそこに入り込んでしまったのだろう。どうやら言葉というものはそういうもので、あることを簡潔に言い表す(ものだと共通了解されうる)言葉があったらちょうど良いというスペースには、誤用であれ造語であれ、なにかしらてきとうな言葉が嵌まり込んでしまうことがある。それに対して、その言葉を別様の意味で用いていた小集団は、不平を漏らすことはあるとしても、苦情を申し立てて批判する権限は与えられていない。


  夏休みのうちに日本橋へのオタ遠征もしておきたい。今週末くらいに行っておくか、それとも来月(例えば、こみトレの後)にするか……。


  ヤード・ポンド法も一つの文化なので、国際規格に合わないからと軽々しくバカにしたりその絶滅を願ったりするのは、控えめに言っても異文化に対するディーセンシーを欠く振舞いだろう。日本人にも一部にそういうことをなかば冗談めかして公然と口にする人がいるが、冗談でも――あるいはブラックジョークに踏み込んでいることの認識および配慮を伴わずに――そのようなことは言うべきではない。


  「胃~之煮」を聴いて以来、サーターアンダギーが必殺技の名前のように聞こえるようになった。ごろっとしたかたちで実の詰まった、マイルドな味わいの沖縄風ドーナツといった感じ。


  この単語を使うこと自体、いささか躊躇するところだけど、いわゆる「老害」、つまり「キャリアは長いが生産的なことが出来ずにおり、それどころか周囲に迷惑を掛けている人」がジャンルを衰退させるというのは因果関係が逆ではないかと思う。「そういう人々がいるからニューカマーが離れていってジャンルが縮小する」というのではなくて、「ジャンルが縮小していくと、当該趣味に関してつまらないことしか出来ないのにその趣味に執着するというような輩しか残らなくなる」ということではないかなあ。
  個々の趣味(のジャンル)の消長盛衰それ自体は、経済的文化的政治的なさまざまな事情によって左右されるものであり、ある時代のある状況下では広汎に流行した趣味が、ほんの少し変化した別の時代の別の状況下では沈滞するというのは、よくあることだ。それはそれで仕方ないことなのだが、ある趣味が「その時代にはあまりウケない趣味」になり、それを楽しめる人が減少した時に、1)多くの人は、楽しめないので素直に離脱する(あるいは近づかない)が、2)その趣味を依然として楽しめている比較的少数の人はマニアックな人として留まり続け、そして同時に、3)もはやあまり楽しめなくなっているがうまく離脱できずにいる人は当該趣味に留まり続けながらネガティヴなことばかりを言い続けてしまうだろう。
  要するに、「衰亡したジャンルでは、結果的に『老害』の存在がよりいっそう目立つようになる」ということであり、しかしそうした経験則が、因果関係を誤認して「『老害』が新規参入を阻むことによってジャンルが縮小していくのだ」と捉えられるのではなかろうか。その趣味が面白いものであれば、邪魔な人が多少存在しても新人たちはどんどんそれを楽しんでいくだろう。周囲の無理解にもかかわらず若者によって新たな趣味が勃興するのと同じように、既存の趣味もまた、頭の固い古参との衝突があろうが新たな参入者と新たな感性によってどんどん刷新されていくという生成変化を不断に続けているものだろう。
  基本的には個人的主観的な事柄である「趣味」の諸領域に関しても、その盛衰はマクロレベルの事態によって決まるところが大きいのであって、その中に愚かな個人がいくらか存在する程度ではジャンルを左右するほどのたいした影響は持たないだろう、というのが私の基本的な考えだ。ただし、スポーツにおけるスター選手の登場が典型的であるように、特別にきらびやかな活躍をする個人の存在が一つの趣味を爆発的に伸長させるということは確かにあるが、特別に愚かな人の存在が、その愚かさを対外的に見せつけるだけで一つのジャンルを萎ませるというのは滅多に無いことではなかろうか。たとえば、「統一団体のトップにたまたま暗愚な人物が就任してしまって、その者が致命的な運営上の失敗を繰り返すことによってそのジャンルが立ちゆかなくなる」といったことはあるかもしれないが、それは個別的具体的実際的な「失敗」の問題であって、いわゆる「老害」のイメージとはかなり異なっている。

  趣味の領域は基本的に実利の問題ではなく主観的な嗜好の問題であり、したがって利害得失を客観的なかたちでひとしなみに決定することは出来ない。なにを良しとするかは、そのジャンルに参加している人々の間でおおまかに共有される価値観によって左右されるが、その価値観は絶対的な規範ではないし、またその内容を参加者たちが変化させていくことは可能だし、実際しばしばそうなっている。だから、愚かな人々や余計なお節介には取り合わずに、一人一人が自分なりに楽しいと思えることを追求していけばいいと思っている。絶対に守らなければならないのは、せいぜい、スポーツにおける身体的安全確保のための一連のルールや、特定のレギュレーションを受け入れている場面(例えば特定のコンテスト)ではそれを遵守しなければならないという契約的制約くらいのものだろう。
  もちろん、これまで多くの人々が真剣に熟考しつつ展開してきた慣行や基準や知見はしばしば妥当なものであり、その蓄積は尊重すべきであり、それを自らのものとして受け入れている人々の価値観も一つの価値観として尊重すべきではある(つまり安易にバカにしてはいけない)。しかし、上の世代から「そんなものはSFではない」「スケールモデルとはこうでなければいけない」と言われても、それを突っぱねて「それでも私はこういう作品を楽しみたい、こういう形で楽しみたい」ということは出来るのだ。
  その際に、自分はこのような観点でこのようなありようを目指しているのだということを、きちんと考えて表明できるようにしておくのも良いだろう。理屈を、原理を、哲学を持つことは、当該趣味において他人の意見に盲従するのではなく自分なりの判断が出来るようにする基礎となるし、それとともに、自らの楽しみをよりいっそう深めることにも寄与するだろう。


  巨大娘に目覚めそう……いや、目覚める、私は目覚めたぞ!

2017/08/16

『領地貴族』体験版感想

  『領地貴族』体験版とデモムービーの雑感。

2017/08/10

本職声優の意義と素人吹き替えの困難

  素人声当てに対する本職声優の意義について。

2017/07/31

2017年7月の雑記

  2017年7月の雑記。(→8月6月

2017/07/04

ディストピアとアダルトゲーム

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  この人物が掲げている定義も、ほとんど間違いと言っていいほど偏っていると思うのだけど、それに対するツッコミがほとんど入っていないのが不思議。以下、私見をば。